アメリカ見える? やっぱし今日は見えないか。ここは新東京百景と銘打たれた展望地。
下山道は結構急でした。
着いた港街が次第に遠くなっていく。
web design Yoko Fukushima
開 催 日 |
2010年5月7日(金)〜9日(日) |
リーダー |
高橋朝子※木村好孝 |
写真と文・HP |
古谷 実、山田政雄 |
参 加 者 |
25名 |
838年ごろの噴火でできたといわれる表沙漠。南側にもうひとつ裏沙漠があった。
竹芝桟橋を夜10時に出航したカメリア丸(3837t)は、大島、式根島などを経て翌朝10時過ぎ神津島に入港した。待ちかまえていた宿の車で天上山登山口に直行、懸念された船酔い2名もしっかりした足どりで山頂に向かう。小さな島に立つとはいえ、なかなかの山容で、山中に2つの沙漠があって私たちを驚かせた。薄曇りで展望はいまいちだったが、昼過ぎ574mの山頂に。下山するとすぐ、水着をもって海岸べりの温泉保養センターに向かった。大小3つの露天風呂を順ににめぐり、船旅+山旅の疲れをいやした。夕食はてんこ盛りのサシミで島の味に舌づつみをうち、談笑の輪がつづいた。翌日は、8時間の航海を楽しみ横浜大桟橋で解散。元町中華街に流れたグループもあった。
ここでご来島記念のハイ・チーズを1枚。
山から下りたら温泉へ。大露天ブロは大きすぎて落ち着かない。
展望露天ブロで、クラシック初の水着ショウ。やるわけないか?
夜明けとともに、大島ではツ-リング自転車を担いだ百人ほどの大学サイクリングクラブが下船した。利島、新島、式根島では、郵便などの荷と釣り人を降ろし、島の産物を積み込む。そして終着の神津島がだんだん大きく迫り、多幸湾の船着き場に入った。島の周囲は22km、人口は約2千人だという。
1827年ごろ、外敵の上陸に備えてつくられた石積み防塁の遺跡があった。ここでお昼の弁当を開いた。
天上山のツツジが咲くまえで、道ばたのスミレの紫が眼に鮮やかだった。
お刺身の山盛り、これが島のおもてなし。
登山道は階段が切ってあって、歩きやすい。
天気晴朗、波静かな景色に飽きたら上甲板に集まってペチャクチャ。
朝鮮王族の子女ジュリアは、秀吉の改宗命令を拒んで、この島に流刑となった。毎年5月はじめ、カソリックの神父が来島してジュリアを偲ぶ「ジュリア祭」がとりおこなわれ、島では一般客にも、つきたての餅をふるまう。居合わせた私たちは、アンコロモチなどでお腹いっぱいに。
天上山の登山口で。
≪翌5月9日朝、港の広場で≫