箱根八里は天下の險、しかし上方から江戸に通ずる幹線道路なので、諸国大名の行列も大汗かいて越えていった。処々に残る石畳はワラジとその後の登山靴でつるつるに擦り減り、うかつに歩くと滑って転ぶ。だからリーダーの計らいで、会報の記載とは逆方向に終点の甘酒茶屋から登り道のルートに変わった。途中、景色の開けたお玉が池のほとりで弁当を広げ、双子山(上双子山と下双子山)を右に眺めながらその裾を迂回し、芦の湯温泉を目ざす快適なハイキングとなった(地図の水色線)。いつもながら佐久山さんのウンチク+地球生成に関わる科学知識を交えたレクチャーで、少しお利口になった幸せな1日でしたよ。
紅葉にはまだ少し早く、木々はその気配を漂わせているだけだった
佐久山さんの名調子に皆フムフム・・・ 
開 催 日 2011年10月24日
リーダー 名取雄一※佐久山隆一
写真・文 古谷 実
参加人数 18名
横手山頂で
岩に彫りこまれた磨崖仏があった。
景色が開けたお玉ヶ池のほとりに散らばってお昼を食べた。伊豆から江戸に奉公に出たお玉は、通行手形をもたずに故郷に帰ろうとして関所にとらえられ、この池の近くで処刑された。人びとはそれを哀れんで、池に名をとどめたという。
行事記録・写真 59
箱根シリーズG箱根旧道を歩く
石畳の説明図(下)、
石畳をすべらないように歩く(左)
仏教伝来以前の墓の形。四角い土台に四角いボディ、てっぺんは丸というスタイル。
街道右側の双子山は、現在環境保全のため登山禁止の由 
400年続いているという甘酒茶屋の前から出発「甘酒は疲労回復になりますよ」 と茶屋のオカミに声をかけられたけど 「まだ疲れていない!」
曽我兄弟の墓と伝えられてきたが、最近それは間違いとも
終着地点の芦の湯に東光庵があった。ここは江戸時代の文人、絵描きなどの文化交流拠点だったという。箱根で一番高いところにある芦の湯は、夏の涼しさと温泉の効用から人気があり、にぎわっていた。