尾瀬外輪北側に位置する景鶴山は、岐阜の笈ヶ岳同様に登り路のないJAC日本300名山の1つである。尾瀬の山は初夏から晩秋まで人の列が絶えないほどの賑わいとなる。長年にわたるオーバーユースにより、自然破壊が進んで、近年は山域各所でコース制限が強くなったのは、当然の成り行きである。
木道を外れて歩くことの出来ない現在、景鶴山登山は年間を通じて実質的な適期が短い。
小生はこの山の登頂を狙い3年越しにコース検討してきたが、今回は母校都立九段高山岳部の後輩上野信弥君の助言をもらって実施に移した。その登山ルートはヨッピ吊り橋を渡るルートではなく、ヨッピ川源頭の大白沢山ルートからで、弟義明の協力を得てスキーを登山をすることにした。
ヨッピ川のブリッジ
今日は、ここから尾瀬ヶ原に下って山の鼻小屋に入るだけだ。上野君からは「下りは左手の幅広支稜からコテンマ沢に滑り込むとよい」と助言を受けていたがその支稜尾根が良く判らず、途中の広窪沢をくだってしまった。
降りきった尾瀬ヶ原は山の鼻小屋から1kmも東寄りの平原、かなり戻らねばならない無駄道だった。
黒々と流れるヨッピ川に沿って重いスキーを滑らせる雪原は長かった。
鳩待峠にて
●2006年4月30日(晴れ)入山
今日は鳩待峠からアヤメ平方面に稜線を登り、メッケ田代から滑降して山の鼻小屋に入る予定である。
峠から山小屋2泊分のザックを背負いシールト登高。快晴のもと西方に至仏山、北方にはブナ林越に平ヶ岳とその手前の大白沢山が、そして明日アタックの景鶴山が良く見えた。しかしそこまでの道程の遠いこと、思わずため息が出た。
幅広の尾根をGPS頼りにシール登高する。樹林帯ではたびたび「電波が届きません」の表示だが、樹林が開けると進路をきちんと示すのが頼もしい。
鳩待峠への林道
メッケ田代にて
見通しのきかないシラビソ疎林でメッケ田代がどこか判らず通過してしまい、アヤメ平に上って間違いに気づきバック、ようやくメッケ田代の原を発見できた。
北側が大きく開けた広大な原で昼食をとった。
正面に平ヶ岳、右には景鶴山、眼下に広がる尾瀬が原の雄大な景観。
2006.4.30−5.2